荒陵(あれみささぎ) 今茶臼山といふ。形をもつて異名とす。
慶長元和の頃御陣営となる。荒陵の号は仁徳天皇より以前の号なり。
『日本紀』云ふ、
仁徳帝五十八年夏五月、荒陵松林の南の道に当たりて、忽ち両の歴木(くすのき)、路を挟んで末合へり云々。


茶臼山古墳 大阪市天王寺区茶臼山町1
河底地とともに大阪府指定史跡になっている。
茶臼山は大坂冬の陣、夏の陣のさい、徳川家康の本陣となったことで有名であるが、『日本書紀』推古元年の条の「始めて四天王寺を難波荒陵に造る」とある荒陵を茶臼山古墳にあて、前方部は土取りのために削平されているが、全長約200mの東向きの中期の前方後円墳とするのが通説である。


河底地は周濠跡と考えられている。現在四天王寺本坊の庭にのこる長持形石棺の蓋は凝灰岩(竜山石)製の立派なもので、茶臼山古墳出土と推定されている。
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