○秋野坊(あきのぼう) 西門の北にあり。当寺、公文所三綱職と号して、世々一山衛護の家なり。
歴代、勅宣・院宣・将軍家祈願・施[貝親]文(せしんもん)等数十巻家に蔵む。皇帝行幸、三公・将軍等敬礼結縁の寺記枚挙すべからず。
そもそも秋野家の遠祖を原ぬるに、皇太子の近臣小野妹子大臣なり。この大臣は皇裔遠からず。
人皇三十一代敏達帝第四宮春日王子の長男、すなはち皇太子とは従兄弟なり。詔を蒙りて当山守護職に補せられ、その子中納言毛野、そのl子中納言大錦上毛人、その子大夫文人までは、朝廷に官へて当寺守護を兼ず。
またその後勅を得て、文人薙髪して当山に遷り、不朽の衛護として小野院秋野房と号す。これより連綿として当時まで、すべて四十七世とぞ聞こえし。
『摂陽群談』に秦川勝の苗裔と書きしは謬なり。
太子十六歳像 御自作。秋野坊内道場に安ず。また什宝に古鍛冶宗近の太刀一腰あり。その余略す。
書院天井の画雲竜は狩野古法眼の筆、妻戸の画三番叟も同筆にて、襖の絵邯鄲廬生は狩野山楽、なはこの人の画所々に多し。
当坊再院は初め茶臼山の御陣営なり。後ここに拝領す
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