鷲住王古蹟(わしすみのおほきみのこせき) 浅沢一つ橋の南にあり。村民、伶人雷士が宅地といふは謬なり。
『日本紀』日く、
履中天皇六年二月、鯽細魚磯別王の女太姫郎姫・高鶴郎脱を喚して、后宮に納れて、並びに嬪としたまふ。ここに二の嬪、恒に歎きて日く、悲しきかな、吾兄王何処か去りましけむと。天皇その欺くことを聞こしめして問ひて日く、汝何ぞ歎息するやと。対へて日く、妾が兄鷲住王、人と為り力強くて軽く捷し。これにこ由りて独り八尋の屋を馳せ越えて遊行にき。既に多くの日を経て面言ふことを得ず。 ゆゑ、歎くとまうしき。天皇その強力を悦びてこれを喚す。参り来ず。また使を重ねて召せど、なほ参り来ず。恒には住吉邑に居す。これより以後廃む。以て求めたまはず。これ、討岐国造・阿波国の脚咋別、すべて二族の始の祖たり云々。







千躰(せんたい) 大阪市住吉区千躰
履中天皇の家臣鷲住王が居住したという。






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