○津守家館(つもりけのやかた)本社の巽にあり。遠祖天津瓊々杵尊より十七代の苗孫手搓足尼、この時初めて津守の姓を賜ふ。侍者御前といふはこれなり。『日本紀』には田裳見宿禰と書す。母は紀直等の祖字治彦の女、鹿島姫なり。『摂津志』日く「津守宿禰は火明命の八世大御日足尼の後」と云々。当時社務津守国礼朝臣まですべて七十三代なり。希代の名家にして功名の人物多し。ほぼその僅かをここに抜粋す。
津守国基(つもりくにもと) 康平年中の人。住吉神司に補して従五位下に叙す。博識宏才にして世に鳴る。その上倭歌を辛くし筝を弾ず。
   『後拾遺』   紅葉するかつらの中に住吉の松のみひとりみどりなるかな   津守国基
津守有基・津守景基(ともに国基の子)津守経国(国基の胄子宣基の六世なり。博学多才、和歌を善くす。また、五部の大乗経二百余巻を書写し、安貞二年戊子二月に安居院聖覚法師を請じて唱道とし、白河女院の御願によって毎年供養の宿望を達して神明の法楽をなし奉らるるなり。今に年毎弥生八円にはこの会を荘厳して修法なしけるとなり。すなはも安貞の願文今にありとぞ。
 津守国平 経国の子。和歌を善くす。
   『続古』    草の名に忘れやしぬる郭公五月もとはぬ往よしの里       津守国平
津守国助 国平の子。文永年中の人。津守宣平・津守棟国ともに国助の子。津守国冬 国助の子。弘安年中の人。秀歌多し。撰集に出づる。
津守国道 国冬の弟。津守国藤 棟国の子。津守国夏 国冬の子。元応中の人。津守国久 国夏の孫。応永年中のー人。ともに倭歌をもって名を播す。津守国顕 国助の第二子。津守国益 国顕の子。父子ともに和歌を善くし和琴を弾ず。津守氏女 国助の女なり。和歌を善くし和琴を弾ず。父兄と誉をともにす。
 
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