天下茶屋邑天満宮(てんがちやむらてんまんぐう) 住吉街道にあり。祭神菅公。この地の生土神とす。例祭九月十五日。
額の天満宮は宝鏡寺宮理豊徳厳尼公の筆。能書にして世に名高し。
もとこの里は勝間村の出在家なり。今天王寺村の内にして東生都に属す。勝間村および住吉北の入口、新家の町、拍戸の辺は西成郡、その町端は住吉郡なり。 この辺郡界紛然として暁しがたし。

紹鴎森 この社頭の神?をいふ。茶人紹鴎幽棲の旧跡なりとぞ。
あるが日く、豊臣秀吉公堺政所に御往来の時、この茶亭にて御輿をとどめられ、風景を賞じたまふとなん。ゆゑに天下茶屋といふ地名となれり。
また村長日く、この地名豊太閣已前より村中に云ひ伝ふとなん。

名産和中散 当村にあり。津田氏といふ。家伝云ふ、今より六世の祖を宗本といふ。この時よりここに初めて売り弘むなりとぞ。
薬店は数十間を開きて床几数脚をならべ、往来の人を憩はし、薬を湯に立てて施す事四時間断なし。前栽に草亭あり。これを罷天闇といふ。


天満宮(西成)
天神ノ森天満宮(てんじんのもりてんまんぐう) 大阪市西成区岸里東2-3-19
応永年間(1394~28)に京都北野天満宮の分霊を奉斎す。  紹鴎森天満宮、子安石天満宮、天下茶屋天満宮とも呼ばれる。

天満宮(西成)
拝殿

天満宮(西成)
本殿 祭神:菅原道真公

天満宮(西成)
           倉稲魂大神   天照皇大神   猿田彦大神

天満宮(西成) 天満宮(西成)
地主神社(じぬしかみのやしろ) 白雪龍神・白髭龍王・白龍大明神
『延喜式』に見られる地主神社を平成17年11月15日に建立。

天満宮(西成)
遙拝所

天満宮(西成)
子安石
社前に子安石のあるところから子安天満宮ともいわれ、安産祈願で有名だった。
淀君が懐妊したとき、堺の政所に往来していた豊臣秀吉も立ち寄り、無事男子秀頼の出産のため大喜びで寄進し、淀君もお礼参りに訪れたといわれる。
現在もある子安石の回りの小石を持ち帰り、無事出産後もとの位置に戻してお礼参りする風習が残っている。

天満宮(西成)
御額
享保20年(1735)当社表参道の大鳥居を建立された際にかかげられたもので、「天満宮」の文字は寶鏡寺徳巌理豊宮の御染筆で、これを京都の額師にほらせたもので総楠木製であります。損傷はなはだしく、此度保存処理をおこないました。一般公開は(初詣)正月1日~3日(夏祭)7月24・25日とします。 平成7月7日

紹鴎の森碑
紹鴎杜(しょうおうのもり)碑
享保年間(1716~35)芽木四世昌包の筆。
大坂から住吉大社へ通じる住吉街道はこの付近で勝間新家の杜と呼ばれた大きな森に妨げられて、遠回りをして熊野街道か勝間街道を通らねばならなかった。そこで紹鴎は、この森を二つに裂き街道を通すことを提案し、私財を投げ打ってついに成功、人々は感謝してこの杜を紹鴎の森と呼ぶようになった。 次いで紹鴎は街道を挟んで東側の森に天満宮を勧請したので、こちらは天神の森と呼ばれるようになる。

天下茶屋跡
天下茶屋跡(てんがちゃやあと) 大阪市西成区岸里東2
古代には「天神の森」と呼ばれ、武野紹鷗がこの地に涌く水を好んで茶室を設け、紹鴎の森ともよばれた。
楠木正行十世の孫と称す芽木小兵衛光立が、天正年間(1573~92)に茶店を出し、三代目昌立の頃、豊臣秀吉の住吉神社参拝の折、随行していた千利休がこの茶店の清泉を汲んで茶をたてたところ味の良さに満足し、この泉に「恵の水」の名と年に玄米三十俵の朱印を与えたことから、殿下茶屋、天下茶屋の名が起こったといわれる。

天下茶屋跡

天下茶屋跡
旧跡 天下茶屋屋敷図 芽木家の跡で、戦前には中二階の本葺きの屋根が印象的な天下茶屋があったが、戦災で失った。
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