○誕生石(たんじょうせき)社頭、猪鼻の辺にあり。
これ薩摩の国主、島津三郎忠久の誕生所なり。社伝云ふ、建久元年春、丹後局鎌倉に参りて武将頼朝公の寵を蒙る事盛んなり。つひに妊身となる。嫡妻北の方これを聞きたまひて嫉みたまふ事はなはだ強し。ひそかに本多次郎に命じて由井浜においてこれを殺きしめんとす。本多、かの上揩供して海浜に至り、御痛しく思ひ喪はん事を忍びず、ともに遁れ去って紀伊国熊野浦に赴かんとす。その路径住吉の社頭を歴るとき臨産のけしきあり。折節闇夜なれば咫尺も別れず惑ふ所、ここに松林にほかに光を放ちて、明き事昼のごとし。側を顧みれば大石あり。木多産婦を労りて褥をこの石に敷きてしばらく住吉大神を祈るに、易く産の紐を解いて男子を誕みたまへり。これすなはも大神の応護を加へたまふなりと感涙袖を潤す。同年十月三円、頼朝公上洛の時、本多これを告ぐる。武将大いに悦びたまふ事斜ならず。即座に伊賀・伊努両国を賜ふ。同三年、大隅・薩摩の両国を宛て行はれ島津三郎忠久と号す。それより島津家の子孫当社を厚く尊崇し、この霊石に瑞籬を造り注連を曳き神灯を献る事今において変はらず。この事『後太平記』にも詳らかに見えたり)


誕生石 源頼朝の愛妻・丹後局 (たんごのつぼね) がここで出産した場所、その子が薩摩藩「島津氏」の始祖・島津忠久公と伝えられている。
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