住吉大神杜(すみのえのおほんかみのやしろ) 住吉郡にあり。
『延喜式』云ふ「住吉坐神社四座ならびに名神大、月次・相嘗・新嘗」。
  『続古』神祇   西の海やあはきがはらの汐路よりあらはれ出でし住吉の神
祭神 一神殿、底筒男命。二神殿、中筒男命。三神殿、表筒男命。四神殿、神功皇后。
『日本紀』曰く、
 伊弉諾尊既に還って追ひて悔いて日はく、吾前に不須凶目汚穢(いなしこめきたな)きの処に到る。ゆゑに当に吾が身の濁を滌んとのたまひて、すなはち往きて筑紫の日向の小戸の橘の檍原に至る。祓ぎ除したまふ。つひに身の所汚を盪滌んとす。すなはち興言して日ふ、上瀬はこれ太だ疾し、下瀬はこれ太だ弱しと。すなはち中瀬に濯ぎたまふ。因つて以て生める神の号を八十柱津日神(やそまがちひめのかみ)と日ふ。次にその枉れるを矯さんとして生める神の号を神直日神(かんあほひのかみ)と日す。次に大直日神(おほなほひのかみ)。また海底に沈み濯ぐ。因って以て生める神の号を底津少童命(そこつわたつみのみこと)と日す。次に底筒男命(そこつつをのみこと)。また潮の中に潜き濯ぐ。因つて以て生める神の号を中津少童命(なかつわたつみのみこと)と日す。次に中筒男命(なかつつをのみこと)。また潮の上に浮濯きたるに困って以て生める神の号を表津少童命(うはつわたつみのみこと)と日す。次に表筒男命(うはつつをのみこと)。すべて九神有(ここのはしらのかみいま)す。その底筒男命・中筒男命・表筒男命これすなはち住吉大神なり、云々。
『古事記』日く、
 底筒之男命、中筒之男命、.上筒之男命の三柱の神は墨江之三前の大神なり。(同巻云ふ)天照大神の御心はまた底筒勇・中筒男・上筒男の三柱の大神なり(この時その三柱の大神之御名は顕したるなりと云々)。
同記日く、
 神功皇后、御船の波瀾、新羅の国に押し騰る。既に半国に到る。ここにおいてその日の王畏み奏して言さく、今より以後、天皇の命に随ふて御馬廿(みむかひ)と為らん、毎年船を雙ペ、船の腹を乾かさず、櫂楫(かいかじ)を乾かさず、天地と共に退くこと無く仕ふ奉らんと。故にここを以て新羅の国は御馬廿と定む。百済の国は渡の屯家に定む。その御杖を以て、新羅の国の主の門に衝き立て、すなはも墨江の大神の荒御魂を以て国守の神と為して祭鎮りて還り渡すなり。
『古今』読人しらず、『伊勢物語』云ふ、
   むかし、みかどすみよしに行幸したまひたりけるに
  我見ても久しくなりぬ住吉のきしの姫松いく代へぬらん
『闕疑抄』云ふ「文徳天皇大安元年正月二十八日行幸といへども、国史・実録にも見えず。また、この歌は文徳帝の御製といふ。これも信用しがたし。業平の歌と見るべきなり」。
 『拾遺』  我とはば神代のこともこたへなんむかしをしれるすみよしの松   恵慶法師
『新古今』、また『伊勢物語』云ふ、
   おほん神げぎゃうしたまひて
 むつまじと君はしら波瑞籬(みずがき)の久しき世よりいはひ初めてき
賀茂真淵云ふ、現形したまひてとは今の本の写誤なり。「御神親礼給而」(おほんかみあらはれたまひて)と古本にあるなり。
礼を形にあやまれるならん。また、この歌は真淵の議論卑し。『伊勢物語の古意』の抄に委し。
 『新後拾』  橘の小戸の汐瀬にあらほれてむかしふりにし神ぞこの神    津守国基
 『拾遺』     住吉にまうでて
        あまくだるあら人がみのあひおひをおもへば久し住吉の松  安法法師
 それこの大神は千早振る神代の御時、日向国中戸の橘の檍原より現れたまひて、当社の御鎮坐は神功皇后紀十一年辛卯四月二十三日とかや(『帝王編年集成』)。かるがゆゑに今に至りて卯月上卯Hの例祭あり。まづ、四つの神殿の宮造は、皇后三韓御退治の時、当社は軍神なれば、宮造の体諸杜に混ぜず、そのさまかはり、三社すすむは魚鱗の備、一社ひらくは鶴翼の囲を顕し、いはゆる八陣の法、これを住吉造といふ。四つの鳥居四方に立ち瑞籬は四維に囲り、摂社末社三十余前巍然として連なり、神人三百余家軒を双べて整々たり。詣人は陰晴を嫌はず間断なく、岸の姫松蒼々として君子の操を露し、神楽の音・鈴の声・神馬の嘶き穏やかにして、四海の波風静かに国家を謐んじ社禝を輔け、春の日陰うららかに和光円満の月高く照らし、四所同塵の籬には随縁利物の花鎮に薫ず。そもそも当社の御神体に九神一神の伝といふ事あり。伊弉諾尊の心化より発りて、大直日・神直日・八十枉津日、この三神を日道三天の天日にてすなはち天照太神なり。また、底津少童・中津少童・表津少童、この三神は月読尊にして、すなはち摂臣の塩土老翁・豊玉彦・猿田産の輩なり。また、底筒男・中筒男・表筒男、この三神は金気造化の神にして素盞鳥尊なり。これを一神三神、三神九神、九神一神と申す。この一神はすなはち伊弉諾尊なり。この尊の心化はすなはち右の九神なり。神代の巻の九 神といふはこの事とかや。なほ深き神伝ありといへども、神人秘して渉々しく語らざれは、知る事能はず。
 『新古』賀  住吉の浜の真砂をふむ鶴は久しき跡をとむるなりけり     伊 勢
 『新拾』   いくよにか神の宮居の成りぬらん古りて久しき住よしの松   為 家
 『続後撰』    後三条院の帝住吉に御幸ありける日よみ侍りける
        いにしへもけふの御幸のためとてや天くだりけん住吉の神   大宰総帥伊房
 『新古』     奉幣使すみよしに参りてむかし住みけるとまりのあれたるをよめる
        住吉と思ひし宿は荒れにけり神のしるLを待つとせしまに    津守有基
  同     住吉の浜松がえに風ふけば波のしらゆふかけぬまぞなき    藤原通経
 『新後撰』  神よ神なは住吉と見そなはせわが世にたつる宮柱なり     太上天皇
住吉大神を和歌の神と称じて、代々の帝鑾輅(らんろ)をめぐらされ行幸ある事その例少なからず。また詔して奉幣使の立たせたまふ事累世に怠らせたまはず(真淵云ふ、住吉の神を和歌の神と称ずる事上古に聞こえず、六百年巳来の事なりと『勢語古意』に書きしは辟案なり。まさしく伊弉諾尊の心化より現れたまふ御神なれば、和歌の神と称ずる事神代よりの事なり)。
 『新古』   我が道をまもらは君を守るらんよほひほゆづれ住よしの松   定 家
 『新後撰』  和歌の浦の道をは捨てぬ神なれは哀れをかけよ住吉の波    俊 成
 『新続古』  あゆみをははこぼでとてもこの道をまなははまもれすみ吉の神 等持院贈太政大臣
 当社を海宮(わだつみや)といふ事神代の巻に、塩土老翁、彦火々出見尊に教へてたちまち海神の宮に至りたまふ。その宮は雉[土世木]整頓(たかがきひめがきととのへそなはり)、台宇玲瓏(たかどのてりかがや)けり。前に一つの井あり。井の上に桂木あり。尊はその樹下にたたずみたまふ。一の美人あり。これ豊玉姫なり。すなはち大海神は豊玉彦命なり。その側に彦火々出見尊・塩土老翁・豊玉姫、一扉の社あり。桂樹は当社の神木なり。塩土老翁はすなはち当社の再変にして、彦火々出見噂に説いて海中に入れしめたまふ。その時はいまだ住吉の神名あらず。また玉出島竜宮の神井は海宮の門前の井を表すなり。人皇に逮んで第十代崇神天皇御宇始めて当境に降臨し、住吉姫松の下に在って星霜を歴る事すべて三百十七年なり。その後気長足姫尊(神功皇后)に託してこの地に跡を垂れたまひ、讃嘆して真住吉国といふ。これより始めて住吉の神号露れたまふ。かるがゆゑにあらかじめ海神に契りあるに就いて、万国の廻船、風波の安泰を祈り、船の守神と祭る事は、神功皇后の紀に、三神誨へて宣ふは、わが和魂は大津渟中倉の長峡に居るペし、すなはち往来船を看ると。ここにおいて神の教のまま鎮坐し奉り、平らかに海を渉る事を得たるなり(『日本紀』)。このゆゑに船路を守りたまふ事を司りたまへば 艚戸の人・船佑の賈人・船長・楫収までもつねに精心をこらし祈り奉り、風波の難を避け渡海穏やかならしめんとて、出帆帰帆ここに詣せずといふ事なし。社頭の神灯は諸国廻船中の輩より献じ、夜灯のほかげは煌々としてその光幾千の数をしらず。
  御神詠   もとよりもわれはうきたる海の上波風たたは祈れ船人
 『万葉』   住の江のいづくはふりが神ごとと行くともくとも船ははやけん 民部大輔多治真人
  御神詠   伊予の国うわの浦わの魚までもわれこそはくへ罪すくふとて
 いとへどもなほ住よしの浦にほす網のめしげきと詠じけん、海士の呼声に網引して諸魚を神供しければこの御神詠ありとかや。また住吉と称ずる事は『津国風土記』に「住吉大神現れたまひて天下をめぐり住むべき国を充たまふに、沼名椋長峡(ぬなくらながを)の前に到り、これぞ真に住むべき国なりとて讃めたまふて、真住吉と称じ御社を定む。今の俗これを略してただ須美乃叡(すみのえ)といふ」云々。また『住吉勘文』云ふ「住吉と号くる事は、其澄鏡(ますみのかがみ)より出でてまことにすみきよしといふ義なり。自銅鏡とは神代巻に、伊弉諾尊宙を御すべき珍子を生まんとて、左の御手に自銅鏡を持ちたまふ。すなはち化出づる神を大日女尊(おほひるめのみこと)と謂す。右の御手に自銅鏡を持ちたまふ。すなはも化出づる神を月弓尊(つきゆみのみこと)と謂す。また首をめぐらし顧眄(かへりみ)たまふ。すなはも化出づる神を素盞烏尊と謂す」と云々。これ真住吉の始めなり。住吉は水なり。日の光清く潔きを、水に譬ふる御事なり(住吉をすみの江とよむ事、古人の例にて『万葉』および古書にその例多し。近江の日吉も『古事記』にはひえとあり。すべて吉の字をえとよみてもよき事にもなるなり。上とえとは相通にて、よい日和、えい日よりといふても同じ事なり。住吉とよむ事、延喜以後の事なり)。
 『万葉』   馬のあゆみおしてとどめよ住の江のl岸のはにふににはひてゆかん  豊 継




住吉大社(すみよしたいしゃ) 大阪市住吉区住吉2-9-89
一の鳥居  神域の入り口である西大鳥居。


反橋(そりばし) 住吉大社の象徴である太鼓橋。
長さ20m、高さ3.6m、幅5.5m。石の橋脚は淀君が豊臣秀頼の成長を祈願して奉納したもの。


住吉鳥居と幸寿門 四角柱の鳥居であるため、角鳥居 (かくとりい) とも呼ばれている。


第三本宮  祭神:表筒男命 (うわつつのをのみこと)
幸寿門を潜るとすぐにある西(大阪湾)向の本殿。第49回式年遷宮の修復工事が行われています。


第四本宮  祭神:神功皇后 (じんぐうこうごう)・ 息長足姫命 (おきながたらしひめのみこと)
第3本宮の右隣に並んでいます。


第二本宮  祭神:中筒男命 (なかつつのをのみこと)


第一本宮  祭神:底筒男命 (そこつつのをのみこと)
一番奥に鎮座し、拝殿の間口も他より広く、前庭も広くとられています。


高倉  第1本宮背後にある校倉造りの高倉。


神館(しんかん)  大正4年竣工の御殿造り。


斎館


神池と石舞台


東大鳥居  慶長年間に豊臣秀頼が東参道の旧住吉街道に建立。1978年に南門前に移築。






HOME > 巻之一 住吉郡 > 住吉大神社



inserted by FC2 system