含翠堂(がんすいどう)において,東涯先生(とうがいせんせい)講莚を闢く『仙礼』に「およそ講問には席の間丈(つゑ)を函(い)るはかりにすなり。丈を容るといふは以て指画するに足る」と

含翠堂(がんすいどう)平野郷中にあり。今はむかし八十年ばかり以前、享保の初めつかたこの郷に土橋七良兵衛友直(ともなお)といふ人あり。若年より京師に遊歴し経史を学ぶ事三年の後、故郷に帰り、井上佐兵衛正臣(まさとみ)が居宅を割いて講堂とし、庭中に古松あれば含翠堂と号し侍りぬ。月並三・五・七・十をもって講習の日とし、浪華の万年先生、東武の執斎(しっさい)先生、京師の東涯(とうがい)先生等をこの堂に迎へて講習怠らず。つひに先領主本多侯の聴に達し褒賞したまふ。また友直日く、この郷は近隣の小邑に同じからず。農工商相交はりて荒年には飢渇に逮ぷ者もあり。いざその寸志を勠(あは)せて今よりその備をしてんとて、享保四年亥十月、多少を論ぜず財を投げて賑窮料と号し年歳を累ねて米銭若干となりにき。ここに享保十七年の秋、西の国々蝗(いなむし)の災ひありとて米価貴く窮民多かりければ、米穀二百石をもって飢寒を救ふ。この後もかかる事もやあらんとて、友置麾(ざい)を振って深志の輩十三、四人を聚め財を投じ、これを貸殖しければ、十有余年の後数百金となりぬ。またその後米価高く飢餓に及ぶべき窮民を救ふ事、近年天明七年まで両三度にも及べり。今に至って相続し、かほらぬ松の色とこしなへに朽ちずして、聖教を学び、呉竹の世々に伝ふべきよしを、節斎土橋宗信(せつさいつちはしむねのぶ)、あるは執斎三輪希賢(みわきけん)等、こまごまこの事を記しけるを伝へ聞きてここに著し侍る。また東涯先生の「含翠堂の記」あり。その文に日く。
     含翠堂記
昔、子游武城の事と為り、礼楽を以て治を為す。夫子これに告げて日く、鶏を割くに焉(いづく)んぞ牛刀を用ひんやと。子游再び嘗て聞く所の語を挙ぐるに及んで、すなはち実に前言の戯蓋し治に大小有りて、鼓舞陶鋳して民を化し俗を成す所以は、礼楽より先なるは莫し。平野は摂の属邑なり。郷入素より学に嚮(むか)ふ、あるいは京に造り業を肄(なら)ひ、あるいは館穀師儒以って道を問ふ。土橋友直も、またその郷の志有る士なり。嘗て旧族数家と、謀りて社学を置き、既にして井上氏に隟宇有り。定めて以って講習の所と為す。時々全集して志を言ふ、まさに以って邑人を化せんとす。二子邑に在りては著姓たり。その地古松一株有り。偃蹇(えんけん)して堂を蔭(おほ)ふ。因つて名づけて含翠と日ふ。またまさに学田を置きて以って永年を期せんとす。予、丁未の歳、嘗て友直の故人宗信の招に応じて往きてその堂に遊ぶことを得たり。濡滞すること数日、雞黍茶菓、日々に古道を譚ずるに偲々如たり。すなはちその事を文にし以って後昆に胎(のこ)し湮替無から俾(し)めんことを請ふ。鳴呼今の詩書はすなはち古への礼楽なり。子訪、夫子の言に因りて武城に絃歌するも、今土橋氏、夫子の道を千歳の後に聞きて、まさに詩書を以ってその邑を訓迪(くんてき)せんとすること、すなはちその志固美なり。昔、李徳裕、東都に平泉荘を起きて自記して日く、吾が平泉を鬻がん者、吾が子孫に非ず、一石一樹を以って人に与ふる者は佳き子弟にあらずと。要するにその志す所、園亭の勝を後世に伝へんと欲するに過ぎざるのみにして土橋氏の志はすなはち然らず。講学の区をして永く不替を存ぜ使めんと。すなはち人の善を為すの益を受くること久しくして已まざることを図る所以なり。既に謀りて田を置く。またこれを文に託せんと欲す。すべて周孔の道を誦する者もまた豈にその美を称述して以つて一方に風声せざる可けんや。因りてこれが為に記す。
      享保壬子の歳、仲冬    伊藤長胤拝書






含翠堂跡(がんすいどうあと) 大阪市平野区平野宮町2-9
含翠堂は享保2年、土橋友直ら平野郷民有志が設立した公的教育機関で、経書講読など文教の振興に寄与したほか、飢餓救済資金を積み立て救恤活動を行った。   昭和60年3月 大阪市建立

含翠堂は、摂津国平野郷市町に、享保2年(1717)5月5日、土橋友直ら郷内好学の同志が創設した学校で、150余年間存続し、明治5年(1872)学制公布により閉校した。
はじめは庭の老松にちなんで老松堂といったが、三宅萬年が范魯公の「鬱々含晩翠」の詩から採って含翠堂と改めた。
その隆盛が刺激し啓発して7年後に懐徳堂の開設を導いた。
「万代のみとりをふくむこのもとに聖のふみのまとゐひるめん」と誠心誠意民を教化しただけでなく、その経営はすべて同志の寄金とその運用で維持され、飢餓のさいにたびたび窮民を救済したことは、他の学塾にみられない特色である。
ここに碑を旧阯に建て、この輝かしい郷学の伝統を顕彰し、郷土文化発展の資とするものである。
  大阪大学名誉教授 梅津 昇 昭和60年5月5日 建碑 平野戸主会



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