当社の祭神、赤留比売命は新羅から来た女神で天之日矛の妻と伝える。 当地を開発した渡来氏族の氏神として、その創建は詳かでないが、平安時代につくられた延喜式神名帳に、当社が記載されている。 続に三十歩社と呼ばれるのは、古来から祈雨の神とされ、室町時代の応永年間に干ばつがあり、僧の覚証が雨乞いのため、法華経三十部を読経し霊験を得た故事によるとか、当時の境内地の広さが三十歩であったのによると伝える。 またかつて住吉大社の末社であった由縁で、7月31日に行われる同社の例大祭「荒和大祓」に当地の七名家より桔梗の造花を捧げる慣例となっている。 明治30年に背戸口町より移された境内末社、天満宮、琴平神社とともに大正3年、杭全神社境外末社となり今日に至っている。 社殿背後の土塁と松山池は環濠集落の名残りが見られる数少ない場所の一つである。 |
住吉社 | 稲荷社 |
金毘羅社 | 天満宮 |
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